スマホル ― 小説版
第6話

キーホルダー

 大会が終わった。

 会場には、まだ試合の熱気が残っている。

 あちこちで参加者たちが試合を振り返り、仲間同士で笑ったり、悔しがったりしていた。

 そんな中を、結城奏多と七瀬栞は並んで歩いていた。

「初参加の方はこちらです!」

 受付のスタッフが声をかける。

 奏多が振り向いた。

「あぁ、そういえば……」

 差し出されたのは、小さなキーホルダーだった。

 初参加者だけがもらえる記念品。

「ありがとうございます」

 奏多は受け取ると、何気なくポケットにしまった。

 その隣で、栞が小さく目を見開く。

「あっ……」

 ――それ。

 それが欲しかった。

 栞は一瞬だけ奏多のポケットを見る。

 けれど。

「……」

 今は、言わないほうがいい。

 大会に出て、負けたばかりなのだ。

 二人はそのまま会場を離れていった。

     *

「負けたなぁ……」

 会場の外を歩きながら、奏多が呟いた。

「うん……」

 栞も頷く。

 奏多はポケットの中のキーホルダーに触れた。

 指先に、固い感触が返ってくる。

「ガトリング、使いすぎたかな」

「そうかもね」

「最後に大剣出なかったし」

「でも、ブレードは良かったよ!」

 栞がすぐに言った。

「ちゃんと当ててたじゃん」

「そうかな」

「うん」

 奏多は少しだけ笑った。

「最初からブレードだったら……」

 そこまで言って、考え直す。

「いや、大剣も悪くなかったし……」

「……」

 栞は横目で奏多を見る。

 言うなら、今かな。

 ――キーホルダー。

 ちょうどポケットに入ったばかりだ。

 でも。

「……」

 奏多はまだ試合のことを考えている。

 栞は口を閉じた。

 二人の間に、少しだけ沈黙が流れる。

 しばらく歩いたところで、奏多が「あっ」と声を上げた。

 会場の端に設置されたトーナメント表が目に入ったのだ。

「僕と戦った人、次で負けてる」

「うん」

「えぇ……」

 奏多はトーナメント表を見上げた。

「初心者ばっかりの大会かと思ってた」

「ごめん、勘違いさせちゃってたね……」

 栞が申し訳なさそうに言う。

「大会は普通の大会なの」

「うん」

「初参加の人だけ、キーホルダーがもらえたの」

「ううん、気にしないで」

 奏多はそう言って、トーナメント表から目を離した。

 栞は少しだけ安心した。

 でも、やっぱり言えない。

 ――キーホルダー、私にちょうだい。

 それだけなのに。

「……あの人、初心者じゃなさそうだった」

「うん」

「その人も次で負けちゃったし……」

 奏多はトーナメント表をもう一度見る。

「またその次も……」

 上へ、上へと視線を追っていく。

「レベル高いなぁ」

「そうだね」

「黒瀬先輩は?」

「優勝」

「すごっ!!」

 奏多が素直に驚く。

「いつも通りかな」

「いやいや……」

 奏多は苦笑した。

 同じ学校の先輩。

 自分と同じ大会に出て。

 そして、優勝した。

 その差を考えると、少しだけ遠く感じる。

「同じ構成にしたのに、全然違ったなぁ」

「そりゃね」

 栞が笑う。

「使ってる武器が同じでも、使う人が違うんだから」

「それはそうか」

 奏多も笑った。

 さっきまで重かった空気が、少し軽くなる。

「でも」

 奏多が言った。

「一発当てられた」

「うん!」

 栞の声が弾む。

「ちょっと嬉しかった」

「私も!」

 二人で笑う。

 負けた。

 けれど、全部が嫌だったわけじゃない。

 奏多の顔にも、さっきまでとは少し違う表情が浮かんでいた。

 栞はその顔を見て、思う。

 ――今なら。

「今なら……」

 言えるかもしれない。

「あ、そういえば!」

「え?」

「大剣ってさ――」

「……」

 また試合の話が始まった。

 栞は苦笑する。

 また言えなかった。

     *

「エネルギー管理も難しそう」

「慣れるよ」

「そうかな」

「うん。何回かやれば分かってくるって」

「じゃあ、頑張ろ」

「うん!」

 話しているうちに、帰り道の分かれ道が見えてきた。

 もうすぐ別れる。

 栞はポケットの中のキーホルダーを思い浮かべた。

 いや。

 キーホルダーを持っているのは奏多だ。

 自分では手に入れられない。

 だから、奏多に大会へ出てもらった。

 最初からお願いしていた。

 初参加のキーホルダーをもらったら、譲ってほしい、と。

 ここまで来たのだ。

 言えばいいだけ。

「今日はありがとう」

 奏多が立ち止まる。

「ううん」

「またね!」

「うん、またね」

 奏多が帰ろうとする。

「……」

 栞はその背中を見る。

 最後のチャンス。

「……最後のチャンスかな」

「あっ!」

 声が出た。

 奏多が振り返る。

「ん?」

「……」

 言葉が出てこない。

 ほんの一言なのに。

 ――キーホルダー、ちょうだい。

 そう言えばいい。

 でも。

「……」

「?」

 奏多が不思議そうに首を傾げる。

 栞はとっさに別の言葉を探した。

「お、お母さんが!」

「?」

「扉、調子いいって言ってたよ!」

「ああ!」

 奏多の顔がぱっと明るくなる。

「本当? よかったー!」

「うん」

 栞も笑う。

「安心した」

「ありがとう」

「またね!」

 奏多は手を振って、歩いていった。

「またねー!」

 栞も手を振る。

 やがて、奏多の姿が遠ざかっていく。

     *

 一人になった栞は、しばらくその場に立っていた。

「……結局、言えなかったなぁ」

 小さく笑う。

 自分でも、何をそんなに迷っているのか分からない。

 たった一言。

 それだけなのに。

 栞は空を見上げた。

 夕方の空が、ゆっくりと色を変えている。

「まぁ……」

 少し考えてから、歩き出す。

「今度でいっか」

     *

 奏多は、ポケットに手を入れたまま帰っていく。

 指先が、キーホルダーに触れた。

 今日もらったばかりの、小さな記念品。

 奏多はまだ知らない。

 それをずっと欲しがっている人がいることを。

 栞もまだ知らない。

 そのキーホルダーが、もうすぐ自分の手に渡ることを。

 二人の帰り道が、夕焼けの中で別々に伸びていく。

 明日も、また学校で会う。

 だから今は、それでいい。

「また明日」

 そんな言葉だけを残して。