休みの日。
奏多は、一人で電気屋を訪れていた。
特に迷うこともなく店内を進み、案内表示を見上げる。
目当ての売り場を見つけると、自然と歩く速度が少しだけ速くなった。
競技用品売り場。
そこには、これまでスマフォの画面越しに何度も眺めていたものが、実物となって並んでいた。
「おぉ……」
思わず声が漏れる。
展示されているスマホを眺め、グリップを手に取る。
握ってみる。
部で借りているものと同じ競技機なのに、自分で買うつもりで見ると、なんとなく違って見えた。
ゴーグルにも目をやる。
あれも必要。
これも必要。
一つずつ確認している奏多の顔は、いつの間にか緩んでいた。
やっぱり欲しい。
自分のものが。
一通り眺めたところで、奏多は値札を見る。
「……」
スマフォを取り出した。
今まで働いて貯めた金額を確認する。
もう一度、値札。
「……まだ足りないな」
分かっていたことではある。
それでも実物を目の前にすると、少し残念だった。
そのとき、値札の横にある表示が目に入った。
「セール……」
期間を確認する。
「来週末までか……」
奏多はその場で計算を始めた。
今ある金額。
セール中の価格。
その差。
「……頑張れば、いけるかな」
もう一度、並んでいるスマホを見る。
「何かお探しですか?」
突然声をかけられ、奏多は振り返った。
店員が立っている。
「あ……いえ」
少しだけ間が空いた。
「今日は見るだけなんで」
「そうですか。ごゆっくりどうぞ」
「はい」
奏多は店を出た。
出口へ向かう途中、一度だけ振り返る。
まだ買えない。
でも、あと少しだった。
翌日の放課後。
教室を出ると、栞たちは部室へ向かうところだった。
「結城くん、今日も仕事?」
「うん」
奏多は鞄を持ち直す。
校門の方には、父の軽トラックが待っている。
「じゃ、また!」
そう言って、奏多は走っていった。
その日も働いた。
トイレに洗剤をかけ、ブラシで擦る。
汚れが残っていないか確認して、細かいところまで掃除する。
水を流して、最後に拭き上げる。
道具を片付け、次へ。
別の日。
今度はエアコンの前にいた。
父がカバーを開ける横で、奏多は必要な道具を準備する。
父が手を伸ばす。
その先へ、奏多が先に道具を差し出した。
「お、ありがと」
「うん」
作業を終えたエアコンを確認して、また片付ける。
そして、また別の日。
今度は古くなった波板の張り替えだった。
父と二人で古い波板を外し、新しいものを運ぶ。
「そっち持って」
「うん」
二人で持ち上げる。
奏多が位置を合わせる。
「もうちょい右」
少し動かす。
「そこ」
「はい」
父が固定する。
奏多は下から仕上がりを確認すると、使い終わった道具を集め始めた。
それを軽トラックへ積み込む。
全部終わったところで、奏多は息を吐いた。
「ふぅ……」
ここ最近、ずっとこんな調子だった。
学校が終われば仕事。
仕事が終われば帰る。
部活にはほとんど顔を出せていない。
それでも、欲しいものがあった。
「奏多」
父に呼ばれ、振り返る。
「ほい」
働いた分のお金を渡された。
「ありがとう」
奏多は受け取ると、すぐにスマフォを取り出した。
今まで貯めた分。
今日もらった分。
それを合わせる。
そして、電気屋で見たセール価格と比べる。
「……」
指が止まった。
少しだけ。
本当に、少しだけ届かない。
「……ちょっと足りない」
小さく呟いて、奏多はスマフォをしまおうとした。
その顔を、父が横から見ていた。
「……足りないのか?」
「え?」
奏多が顔を上げる。
「スマホ、買うんだろ?」
「……うん」
少し迷ってから答えた。
「ちょっとだけ」
「そっか」
父は少し考える。
それから財布を取り出した。
「ここ最近、毎日頑張ってくれたからな」
「?」
「今日は多めに出そう!」
追加のお金が差し出された。
奏多は目を丸くした。
「えっ、いいの?」
「ボーナス、ボーナス」
奏多は受け取る。
そして、もう一度スマフォを取り出した。
計算する。
今度は――届いた。
「……!」
顔が一気に明るくなる。
「……買える!」
父が笑う。
奏多も嬉しそうにスマフォをしまった。
だが、その手が途中で止まる。
「でも……」
「ん?」
奏多は父を見る。
「僕が部活に力入れすぎると、父さん大変じゃない?」
父は少し意外そうな顔をした。
それから、なんでもないことのように答える。
「お前がいない時はいない時で、なんとかするよ」
「……そっか」
奏多の表情が少し緩む。
「高校生なんだから、やりたいことやっとけ」
「うん」
父は頷いた。
そして。
「でも……どうしてもな時は頼むな!」
「頼むんじゃん!」
二人の笑い声が、仕事を終えた現場に響いた。
奏多は、もう一度電気屋を訪れた。
数日前と同じ店。
同じ売り場。
同じスマホ。
けれど、今日は見るだけではない。
売り場へ歩いてきた奏多に、以前声をかけた店員が気づいた。
奏多は真っ直ぐ、欲しかったスマホの前へ向かう。
もう値札と貯金額を見比べる必要はなかった。
迷わず、それを指す。
「これ、ください」
しばらくして。
電気屋から出てきた奏多の手には、新品の箱があった。
自分で働いて。
自分で貯めて。
ようやく手に入れた、自分のスマホ。
箱を大事そうに抱えながら、奏多は嬉しそうに笑った。